答えの無い時代の学びについて、別の投稿でも触れてきました。そうした流れの上に、大学の入試も変わりつつあるようです。

このコラムは、その変化を象徴するような試験問題をもとに、入試改革の方向性について考察したもの。題材は横浜市立大学医学部の2次試験。

従来のように定型的で1つのテーマに絞られた「1行問題」ではなく、実質的で具体的な出題が増えているのだ。いわば、日常で遭遇するさまざまな題材を引用し、考えさせる問題が増えていると言える。これは現在進んでいる大学入試改革の方向性とも合致している。

情報源: 医学部入試で出た「他人のおにぎり問題」あなたはどう答えますか?(現代ビジネス) – Yahoo!ニュース

他人が握ったおにぎりを食べられない子どもたち

問題はこうです。稲刈り体験をした高校生に農家のおばあさんがおにぎりをふるまってくれた。しかし多くの生徒が食べられなかった。そこで教師としてのあなたは、(1)生徒への指導内容、(2)おばあさんへの説明、をどうするかを論述させるもの。

深い問題です。コラムでは医師が遭遇する3点について問うものとなっていると分析されています。

つまり(1)少数者の人権尊重・擁護、(2)高齢者に対する意識、(3)言いにくい事柄を説明する話術、です。

真理がない時代の答え探し

以前なら、生徒に食べるように促すのが正しい「答え」だったかもしれません。「食べ物はたいせつに(のこさない)」という絶対的な真理がある世の中の論理です。

これに対して現代は「真理」のない世の中です。衛生環境も分からないなかで作られたおにぎりを食べられないという生徒の気持ちにも配慮する必要があります。多様な価値観を前提としなくてはいけない。

では、どうすればいいか。

個人として向き合う

実はこれは哲学的にも現代的なテーマです。真理のない時代のコミュニケーションはどうあるべきか。

アメリカの哲学者ローティは、個人の信念を築きつつ、その信念は間違っている可能性があると常に謙虚でいるのが現代のあり方と指摘しています。

どういうことでしょうか。

絶えざるコミュニケーション

絶対的な真理がない以上、相手に伝えられるのは自分個人としての信念しかありません。当然、相手も別の信念を持っています。それはきっと自分とは違うことでしょう。自分の信念が間違っている可能性もあります。

この状況を前提としたうえで、相手と対話を続け、互いの信念を書き換えていくのが現代のコミュニケーションだということです。

さて、教師が生徒と、あるいは農家のおばあさんととるべきコミュニケーションはどうあればよかったでしょうか?

医師も科学的知識だけではなく、哲学的倫理観が欠かせない時代なのですね。

▼Question for New Rules
真理がない時代のコミュニケーションはどうあるべきか?

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