中国のIT大手テンセントが島を購入したというニュースを受けて、自動運転の実験場として島のような孤立した環境の利点を伝える記事です。

こうした自動運転シティは、他の地域と隔離されていればいるほど実行しやすい。そこで「島」の出番だ。島内全域を自動運転シティとし、自動運転車を前提としたインフラ作りを進めていくのだ。

情報源: 「島」ごと自動運転特区に?そうすれば実験場にもショーケースにもなる | 自動運転ラボ

自動運転シティを孤立させる

自動運転社会を実験するのに孤立した環境が優位なのは、そこに「人間」が介在する要素を減らせるからです。自動運転車だけなら安全な交通網を築けますが、人間が運転する車が入ると、どのような動きをするか分からないから危険で仕方ない。

そんなわけで、いわばゼロから街を設計できるところで実験すれば、不確定要素を減らせる。記事では、Googleなどが展開しようとしている実験都市についても触れられています。

さて。理屈としては分かるのですが、なんだか落ち着きません。

共存する努力を忘れるな

この落ちつかなさはどこから出てくるのでしょうか。理由の一つは、ゲーム世界のような無菌の場所への不安でしょうか。

言い換えると、「人さえいなければ」という発想に対する危なさを感じているのかもしれません。そこからスタートして生まれる技術が、果たしてどれほどのものか。

人間と共存することを前提に、その難しさも含めて開発されていく技術であってほしいと、そんな思いも抱くのです。

島でなくても孤立環境はある

それでも人が少ない環境が良いなら、いっそ、限界集落を舞台にしてみてはどうでしょうか。

人里離れた村、たとえば50年前は数十世帯が暮らしていたけれど、子供世代は都会に引っ越してしまい、今では70代以上の数世帯しか暮らしていないような村とか。

そういう村であれば、車を運転する人はいません。しかし車による食料品配達などは必須で、自動車ニーズやドローンの活用場面は必ずある。そういう村で、高齢者にとって便利な自動化を徹底して進めてみる。

オンライン医療はじめ、必要なスマートテクノロジーは少なくありませんね。案外、子ども世帯が、あれ、親の村ってかっこいいじゃん、と戻ってきたりして。

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